指導の根本は「なぜならば」の深掘りにあり | 一歩先への道しるべ ビズボヤージュ (nikkeibp.co.jp)
何事もそうなんですが、What(何?)ではなく、Why(なぜ?)に主眼を置くべきなんですよね。
Why(なぜ?)の部分を丁寧に話してくれる人は、教え上手だなと僕自身も感心をしてしまいます。
しかし知識的なWhy(なぜ?)は僕よりも、昨今の生成AIのほうが優秀かもしれません。
まだまだ僕もAIの知らないことを知っている自負はありますが、例えば「AIは知らないけど、僕が知っていること」と「AIは知っているけど、僕は知らないこと」を天秤にかけたら、もうすでに後者が重いです。
だからこれからの指導者の役割は、もっと根本的なWhy(なぜ?)に戻る必要があるのかなと。
ようするに、「どうして学ぶのか?」、そのWhy(なぜ?)に答えをもっている必要があるんですよね。
結局のところ、これから先にどれだけデジタルが教育に浸透をして学習が様変わりをしても、子供たちが”学ぶということの意味”を心で理解をすることができていなければ、すべては水の泡ですからね。