こんにちは。
学習塾マジック代表の髙橋です。
多少なりとも塾講師が天職だったのかなと思うのは、そもそも僕が昼行性よりも夜行性だった点です。
宵が更ければ更けるほど不必要なほどに僕の気持ちは上昇気流に乗ります。
4世代前のご先祖様は吸血鬼だったのかもしれません。
ニンニクを見ると怖気が走るのもその名残だとすれば納得です。
十字架につきましては平常心ですが、これは吸血鬼の血が徐々に薄まりつつある証拠かもしれません。
だから突然、他人様に嚙みついて血を吸おうとする蛮行の予定はないので、どうぞご安心なさってください。
さてさて、冗談はさておき夜はとても幻想的だなと思います。
夜空に燦然と煌めく星々が実際は何年~何百年前に輝いたものだというものが、そもそも不可思議なんです。
光年とはなんとも人を馬鹿にした単位だと思います。
頑張っても80光年ほどで寿命を迎える僕たちにとって、129億光年なんて単位を用意して何がしたいんだと。
そんなことをされたら、当分は悟りを開く予定もないのに宇宙の果てについて考えてしまいます。
たった80光年しかない生涯の大切な時間を空費してしまっているということです!
でも、まったくもって気分は悪くありません。
僕が思うにこういう「人に理解されない」「社会的に意味ない」2重苦の空想こそが、人の生きる醍醐味です。
星ごとに光年も違うので、同じ空間にある星が同じ瞬間に光った訳ではないなんてことを言われたら、天体望遠鏡で星を覗くという行為がまるで時間の超越者になったような気分になれます。ネット通販で天体望遠鏡を購入するだけで時間の超越者になれるのです。21世紀はどれだけすごいんだとご先祖たちに感謝します。なむなむ。
日常的に世界の広さを感じ取れるのは、僕にとっては夜空くらいです。
僕に天体望遠鏡をのぞかせれば、瞬く間に未就学児の頃のような無鉄砲な童心に帰ることもできるでしょう。
三十路にもなれば、「いつまでもそんなんでいいと本当に思っているの?」と高圧的な罵声が飛来することもややありますが、僕は模範的常識の波にどれだけ抗おうとも童心だけは忘れまいと固く誓っているのであります。
いつかは山奥か街中かはどうあれ、隠居生活を営む予定です。
その隠居の城として3階建てで屋上にバルコニー付きの住宅を都心の一等地に建てたいなぁなんて、贅沢や我儘は言いません。ただ世間とは隔絶された静謐で個人的な空間の庭があり、願わくば3階建てで、理想は屋上にバルコニーがあり、都心の一等地であれば言うことなしですが、何はともあれ僕は天体を毎日眺めたいのです。
30光年の星々にそう願ったとして、その答えが聞けるのは30年後。
なんともロマンティックな話ではありませんか?
ということで、今日の学習ブログは「直しの大切さ」です。
よろしくお願いいたします。
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