学ぶという行為の崇高さ

「日本の国立大学は頂点の高さではなく、層の厚さが強みだった」というのは、確かなのかもしれませんね。

2004年の国立大学の法人化以降は、国から大学への提供資金である「運営費交付金」は毎年1%の割合で減らされ、その分を「競争資金」として再分配されているようですが、そのせいで国立大学のなかでも「強化された大学」「弱体化された大学」が誕生しているのが現実です。

ここでいう強化された国立大学とは、俗に言う旧帝国大学と呼ばれる国立でも最上位の大学群で、それ以外の国立大学は言い方は悪いですが、生贄にされてしまっている現状もあるにはあります。

旧帝国大学ばかり優遇しても、旧帝国大学での教授ポストが空いていなければ、地方の国立大学で教授ポストに就任することになるんですし、こういうケースは非常に多いんですから、本来は地方国立大学の研究環境を整えておくことが大切なんですけどね。

地方国立大学で満足に研究できないとなると、研究職を諦めたり、他国の大学から誘いを受けて研究するという人材流出が起きたり、日本の研究力の根幹を揺るがす時代になってしまいます。

日本という国から科学技術が失われてしまったら、戦後に積み上げたものが何も残らなくなってしまうので、喫緊とした課題なんです。

僕はもう身軽には動けないので当分は大学院には戻れませんが、その代わりに、大学で好きなことを研究する子供たちを1人でも育てたいなとは思っています。

願わくば勉強好きだったら、気軽に修士課程・博士課程に残れるような世の中にできたらいいなと。

就職するよりも、大学院で学ぶことに価値がある世の中になってもらいたいです。

子供のころは周りの人から勉強しろとばかりさんざん言われたのに、「大学院に残っても研究したい!」といえば、なかなか周りの人が頷いてくれない世の中は、なんだかもどかしいですからね。

ただただ勉強好きな子が報われる世の中になればいいなと。

僕が願うのは、本当にそれだけです。

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